ああ、またこの匂いがする。  空を仰ぎ、雲の色を見て風の匂いを改めて感じた。雨が降るな、と私はそれから推測した。この勘はまず外れない。外れた覚えがない。
 私は、この匂いが嫌いだ。この匂いは私にあの日を思い出させる。私が人を憎むことを覚えた日のことを。八つ当たりなのは自分でも分かっているが、この気持ちばかりは自分で抑えきれない。
 思い出したいわけではない。むしろ忘れてしまいたい。けれど匂いというモノは記憶と強く強く癒着する。無理に剥がせば痛みを覚えるほどに。
 だから私はこんな日には、あきらめて気持ちの整理をすることにしている。
 私は、こんな日に捨てられたのだった。
 これでも私には以前、主人と呼べるものがいた。数年間をその人の家で過ごした。
 だが、あれは果たして、幸せな家庭と呼べたのだろうか――それが今でも分からない。私にはあまり、愛されていたという感覚がない。一方的に可愛がられるだけで私の心情など一切考慮されないあの生活を果たして愛と呼んでいいものか、私には分からない。ただ付き合わされていただけ――そう言うのが一番しっくりくる。
 無理もないといえばそうなのかもしれない。あの主人は徹頭徹尾、独りだった。愛という言葉を知っていたのかどうかさえ、疑わしい。しかしそれを笑うことができない私もまた、独りだった。
独り同士慰めあえる。そんな考えもあることだろう――しかし私と主人は、どこまでも独りと独りだった。無理もない。独りは独りなのであって、それ同士で息が合うことはない。
 別れに関しては、とても簡潔であった――ある日突然ポイ。あんまり簡単だったから私はちょっと呆然とした。走り去る主人の車を成す術無く見送って――悲しみが来たのはその後だった。けれど思い返してみればその関係は、今まで私と主人の間で演じられたどの馴れ合いよりも相応しいような気がしたので、悲しむのはやめた。
 結局主人にとって、私の必要な時期はもうとうに過ぎてしまっていたのだろう、と今では結論している。そして私はと言えば、そもあの生活こそお仕着せであったから、お勤めが済んでああやれやれ、とでも言うべきだった。
 そう、せいせいしたと思うべきなのだ。けれど。
 たとえば街の中。徘徊する最中、私は無意識に主人を探す。良く似た人を見つけては、はっと思う。そしてたとえば雨の前。何をするでもなく、メチャクチャに羅列していくようにあの生活を思い返し、やがてふと思う。
 ああ、私は一体何を期待しているんだろう?
 認めたくはない。あの暮らしは命をだらだらと延長させるには何一つ不自由しなかったが、ただそれだけだった。事実、あの暮らしの中での私は命を持て余しているだけで、『生きている』という言葉を使うにはあまりに惰性的だった。私はそんな暮らしぶりを退屈に思っていたし、何より心の底から主人を憎んでいた。そう思っていた。
けれど、私はあの暮らしを忘れきっていない。何の苦労をせずとも与えられていた寝床が。毎日、嫌そうながら私の散歩に付き合ってくれた主人が。無機質な感触しかなかったはずのあの生活が。私は多分、まだ吹っ切れずにいる。
そう、認めるなら。私はあの生活に退屈していて。今では主人を憎んでいて。そして全て忘れたがっていて。……それでも、愛していたのだと思う。
 ぽつ、ぽつ、と遂に雨が落ち始めてきた。体を少しずつ濡らしていくそれを、私はそのままにした。空から零れるように降る雨はまるで涙のようで、私の気持ちを代弁しているようにも思えた。その感覚だけは心地良い。
 降れ。降れ。もっと降れ。呪詛のように、私は願った。私の中に渦巻く爛れたような慕情を、雨がきれいさっぱり洗い流していくことを、私は半ば本気で願っていた。



(捨てられ犬の想い ・ 了)

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