数学のテストが返ってきた。
 今日の出来事だ――あのペーペーの数学教師め、この紙切れを渡す時、なんだか可哀想な動物を目の前にして成す術が無いような目をしていた。
「そんな目をするくらいなら返すなっつーの……」
 脳裏に蘇った細面の教師に向かって毒づく。結果なんて、やっている最中から大体の見当は付くものだ。
「……あーあ」
 ため息とともに、手の中の解答用紙を半分に折りたたんだ。どうでもいいと思おうとすれば確かにその通り。
 しかしそう思ってしまったが最後、何か取り返しの付かないことになってしまうような気が漠然とした。現実逃避に、思わず紙飛行機なんか作ってしまう。
 その時、後ろから肩を叩かれた。
「賢」
 振り返ると、見知った……というか、見慣れてしまって飽きさえ感じる顔の男がいた。
「直人か」
「おう。一緒に帰ろうぜ」
 軽く頷いて、同意を示す。
「どうだったよテスト?」
 俺は無言のまま、手の中の紙飛行機を見せた。直人がにやりと笑った。
「ひどかった、ってわけだ」
「ほっとけ。お前はどうなんだよ」
「見るか?」
 言って直人はカバンをごそごそあさり、しわくちゃな紙くずを差し出してきた。俺は代わりに紙飛行機を渡した。
 そして、同時に開く。
 俺の開いた紙くずの中には、あの忌々しい数学教師独特の自信無さげな筆跡で「3」と書かれていた。そして俺が渡した紙飛行機の中にも、同じ筆跡で同じ数字が書かれている。
 思わず、ぶっと吹き出してしまった。
「何だこれ!? 何だこれ!? お前マル一個しかねーじゃん!」
 直人も同様にゲラゲラ笑っている。
「お前こそ何だこれ? 三角で3点稼いだだけじゃねえか」
「ばっか、こりゃあ名誉の3点だぞ。見ろ、勇敢にも大問5に挑戦して途中までとはいえ正解のルートを辿ってる。そんな細かい問題でセコく3点稼いでる奴とは違うんだよ」
「何がだよ、このマルを見ろよ、大問1の一問目。基本の第一歩を確実に理解してるから完璧な解答ができるんだよ。そんな暴走のまぐれ当たりとは……」
 息を継ごうとした途端、急に気分が萎えた。続ける言葉を飲み込んで、代わりの言葉をため息とともに吐き出す。
「不毛だな」
「……ああ」
 げんなりとした表情で、直人。多分俺も同じような表情を浮かべているんだろうと思う。
 空を見上げると雲は無く、代わりにあるのは視界一面に広がる空。あまりに深くて、どんな高みに届いたとしても代わらなさそうな青を見つめているうちに、たとえ自分がいなくてもこの青はかわらないんだろうな、とふと思った。
 直人も空を見上げて、ため息を付きながらグチをこぼしだした。
「あーあ、ヘコむなー。今回はけっこう勉強したんだけどなー」
「どんくらい?」
「えーと、二時間」
「……それ、けっこうって言わないぜ」
「……やっぱり?」
「ああ。ていうかよくそれで勉強したとか言えるな」
「すごいだろ?」
「いや、誉めてねえし」
「お前はどうなんだよ」
「寝てねえ」
「……は?」
「ほとんど寝てなかったんだよ、テスト前一週間くらい」
「……なのにこの点」
「ああ」
「……他の、教科は?」
「全滅」
 それを聞いて直人はため息をついた。それは先ほどのそれよりずっと深いものだった。
「賢」
「んだよ」
「お前って名前負けだな」
「……名前通りなお前がうらやましいよ、直人」
 それだけ言って、俺は黙った。別に落ち込んではいなかった。単に気まぐれで勉強してみようと思っただけなのだ。いや、勉強といってもほとんど何をしていいか分からず、呆然としていただけなのだ。だから当然の結果なのだ――
 と、突然な音が口を開いた。
「今、ちょっと思ったんだけどさ」
「ん?」
「3ってのは、始まりの数字だよな」
「……あ?」
「onw two threeって言うだろ。いちにのさん。始まりの数字ってのは0でも1でもなくて3なんだよ、多分」
「はあ」
「だからさ、ええと、次もあるんだよ。この程度じゃヘコんでらんないぞ、賢!」
 握り拳を作って、珍しく熱弁を振るう直人。言っていることはメチャクチャだったが、俺は少しばかり感動していた。下手なりに慰めようとしてくれているんだろう。
「まあ……そうだな。気にしてばかりもいられないか」
「そうそう。そういうこと」
 にっと俺は笑って見せた。元より、俺も直人もテストの点なんか気にするタマではないのだ。次があるなら、それ以上気にすることなんて無い。
 俺は、直人の手から自分のテストを取り上げた。
「どうするんだ?」
「こうする」
 開かれたテストをもう一度紙飛行機の形に仕立ててやる。適当に作ったため無様ではあったが、それはそれで相応しくも見えた。
 そしてそれを宙に放った。飛行機は頼りないながらも何とか風に乗り、ふわふわと何処かへ飛び去っていった。



(いちにのさん ・ 了)

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