その丘は高く、遠くまで見渡すことができた。
 麓から駆け上り、吹き抜けていく風に帽子を飛ばされないようによう押さえながら、少年はその遥かな景色を眺めた。
 緩やかにしなる弓のような一本の線に風景が二分されている。半分こだと少年は感じた。上のほうの青と下のほうの青、同じ青なのにきれいに分かれているのが不思議だった。
「おじいさん! おじいさん!」
 と、少年は今自分がやってきた方に向けて大きな声で呼びかけた。杖をついた老人が遅れてやってくる。
「すごい、僕初めて見た! ねえ、アレってひょっとして、海!?」
「ああ。そうだよ」
「じゃあ、あれって――ええと、地平線って言うんだよね!?」
「いや、違うよ。惜しいけどね。アレは水平線って言うんだ」
「ふうん……」
 穏やかな口調で諭されても、少年の興奮は冷めやらぬようだった。次々と質問を繰り出していく。
「あ、ねえアレなに? 塔みたいなやつ!」
「あれは灯台って言ってね。船が迷子にならないよう、光って知らせるものなんだ」
「フネ? フネってなに?」
 老人は顔を上げ、さっきの少年のように海を見つめた。遠く遠く、水平線のその向こうまで視線を飛ばすように。それからちょっとイタズラっぽく笑った。
「すぐに分かるよ」
 少年は不服そうな表情を浮かべたが、次の瞬間にはもう興味は別に移ってしまったようだった。
「おじいさん、アレは!? あの、空飛んでる白い鳥!」
「あれは……うーん、何だろう。カモメかな、それともウミネコか……」
「ネコ? 海はネコが飛ぶの?」
 老人は苦笑した。
「いや、ウミネコはれっきとした鳥だよ。でも泣き声がネコみたいなんだ。ミャー、ミャーってね」
「へえ……聞いてみたいな、それ」
「いつか、聞ける日が来る」
 老人は断定するように言って、また先ほどのように海の彼方へ視線をやった。
 少年はしばらくそうして風景を眺め、興味を引かれるものが目に付くたびは質問を投げかけるということを繰り返していた。
 そして、しばらく経つと水平線の向こうから、或る物がゆっくりゆっくりやってきた。少年は一際大きな声を上げた。
「おじいさん、アレはアレは!? あの、浮かんでる白い三角形!」
 老人は穏やかに笑った。懐かしいものを見つけた時のような目で。
「あれが船だよ」
「あれが、フネ……」
「そう。昔私が乗っていた。今は君のお父さんが乗っている。そしていつか、君が乗る。覚えておきなさい。これが海だ。あれが船だ」
 少年は答えなかった。ただじっと、その白い帆を風の中いっぱいに張る船を見つめていた。
 いつか、自分が乗る。
 言われたはずのその言葉は、まるで何年も前から少年の中に住み着いていたかのように、彼の心の中に染み込んだ。



(いつかいる場所 ・ 了)

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